2005年2月24日木曜日

ライブドアによるニッポン放送株取得の論点(longish)

ライブドアによるニッポン放送株取得への、フジサンケイグループの対抗策として、ニッポン放送がフジテレビに既存株式の1.6倍に相当する新株予約権を発行することを決議した。経営権保持を目的とした発行は商法上禁じられているため、少なくとも表向きは、ライブドアの経営権奪取による株主価値毀損(経営悪化)が発行の目的となっている。それに対してライブドア側は、新株予約権発行差し止め(新株発行目的の疑義)の仮処分申請を行った。株主代表訴訟(出資比率の低下による既存株主の損失)も辞さないようだ。

これまでの経緯や各社の対応策をまとめると、本件に関する論点は以下の4点に集約されると思う:

 1) インターネット事業と既存マスメディアのクロスオーナーシップによるシナジー効果はあるのか?

 2) 「闇討ち」と「後出しジャンケン」どちらが悪いのか?

 3)、フジサンケイグループと日本経済を秤にかけて、どちらを採るのか?

 4)マスメディアはだれのためのものか?

本件については、フジサンケイグループと同じく、新聞協会に属する新聞やそれらをバックにした放送局が「ライブドア不利」の偏向報道を行っているといって差し支えない状況だ。もっとフェアな視点で、これら3点について、両社どちらが有利かを以下で見てみよう。



まず1)のシナジー効果有無について。

 ・プラス効果:ライブドアの各サービスへの集客力アップ。コンテンツソースの共有化による。業務効率化、フジサンケイ系列のディノスやポニキャンのEC売上拡大。

 ・マイナス効果:ライブドアと競合する他社へのコンテンツや広告枠セールスの低下懸念。

というわけで、やり方次第でうまく行くこともあるが、効果が挙がらない可能性もある。フジサンケイ側に勝算があるのは、ライブドアのメリットとフジサンケイ側のロスの合計がマイナスに触れる場合のみだ。

なお、アメリカでは大新聞社がニュースサイトを買いあさっているようだ。ドットコムバブルを経ても、アメリカではネット事業と既存マスメディア(放送ではないが)のクロスオーナーシップによるシナジーが認識されていると言って差し支えない。

これらをまとめて考えると、常識的にはライブドアの株取得によるアップサイドに分があると見る方がフェアだろう。


2)「闇討ち」:証券取引法や商法上の問題はないが、法の網をかいくぐったと表現されるような、ややトリッキーなライブドア(+リーマン)のやり口。

「後出しジャンケン」:証券取引法や商法上きわめてグレーな手法を、「カネだけあれば何でもやっていいのか」のようなモラルや商慣行など情緒的な側面で政財界に踏絵を踏ませて、後から出してきたフジサンケイのやり口。

つまりこれら両者どちらが悪いのかをもし決めるなら、つまり定理(資本の論理や遵法性)と、非定理(商慣行やモラル)のどちらが優先するのかということだ。明文化・公明正大を是とする国際的ルールに照らし合わせるなら、後出しジャンケンが道義にもとることは明らかだ。

ただし、「闇討ち」を許してしまった関連法制の不備を突かれたくない為政者と、後出しジャンケンの不法性にお目こぼしをもらいたいフジサンケイ(もっというと全マスメディア)が共犯関係になっている。それに対しては、ライブドアは徹底して「アナタタチノヤッテイルコトハ、ホウリツイハンデース」と外人モードを貫くことになるだろう。村上ファンドも、現時点ではフジサンケイ側に批判的な立場をとっている。

なお日経新聞朝刊(2/25)によると、七条金融担当副大臣は「闇討ち」をかつての江川の巨人入団(「空白の1日」)になぞらえていた。ということは1回はアリ、二度とダメという意味だろう。

法廷闘争もライブドア側に若干有利と思われる。もっとも総務省側からどういう仕込みが入るかはわからないが。


3)ニッポン放送株以前に、現在の株式相場がある程度復活基調にきたのは、個人投資家による積極的な売買と、外国ファンドによる日本株の再評価にある。仮に商法/証券取引法を無視した「後出しジャンケン」を認める判断が司法でなされたとすると、今後外資は日本企業への投資を控えるはずだ。その結果、日本全体の格付けや企業の資金調達力に影響を及ぼすことになり、結果的に日本の国内経済への悪影響は甚大になるだろう。つまり「後だしジャンケン」を認めることは、フジサンケイグループと日本経済を秤にかけて、前者を優先することと同義だ。

これについてフェアに判断するなら、フジサンケイの優先順位を高くする理由はないはず。


4)マスメディアは、強力な世論形成力を持つ権力を有しているので、常に権力側はこれらを操作したいと考えるが、本質的には為政者を常にチェックすべき立場にある。つまり国民のためのものである。その一方、放送局のうちキー局は全社上場企業であり、その意味では株主のための会社である。

これら2つの大きなステークホルダーの利益という観点では、ライブドアの経営支配によって、ニッポン放送やフジテレビの編成内容が国民に著しく不利益になったり、あるいはライブドアとニッポン放送株主が著しく不利益を被らない限り、問題はないはずだ。

むしろニッポン放送株の既存株主の出資比率低下による損失の観点では、フジサンケイ側に合理性がないだろう。

ところで、時を同じくして、放送法の外資規制強化のため改正案を総務省が提出する意向が報じられている。マスコミの外資規制というものは、本来「国体」を成す上で、たとえば北朝鮮が放送局株を買い占めて、プロパガンダを流せるようなケースを防衛するためのものである。もともと新聞協会を核とした日本の5大新聞傘下にできた放送局を上場しておきながら、外資ファンドをバックにした新興株主の株式取得を封じるために、放送法を利用するのは目的が違う。

結局のところ、日本中に放送局ができた(旧郵政省が放送免許を交付した)ときの郵政大臣田中角栄が作り上げた、現行マスメディアの支配体制を、今後も維持することの是非が問われている。


以上1)~4)を考え合わせると、理論的および経済合理的にはライブドアの4勝0敗。しかし、日本経済をハカリにかけてフジサンケイのスキームを為政者(と既存メディアや族議員)が優先する場合もあり、予断を許さない。

・・・・その場合には、みなさん日本を脱出して、手持ちの円もユーロにでも替えましょう。


2005年2月21日月曜日

いわゆるひとつの番狂わせ(インタークラブレース 2005第1戦@筑波(2/20))

雨上がりの寒空の下、Inter Club Race第1戦が開かれた。

9時の予選開始時点ではコースはセミウェット。おまけに1つ前のプログラムの走行会で、ほぼ全周にわたってライン上にオイルが撒かれる始末。そんなわけで、タイアが太くてウェイトの軽いフォーミュラは、直線以外は加速も減速もできない、雪道状態となってしまった。予選結果は、ZetecFF用ウェットタイアを履くSさんのLotus 23Bが19秒台でポールシッター(という椿事)。

IMG_2914僕自身は予選は24秒台という戦前車まがいのタイムで5番手。昼からの決勝では、スタートで3台かわして序盤は2位を走り、結局4位でフィニッシュ。GF-Fでは3位となってフォーミュラでは初のお立ち台を経験させてもらった。

IMG_2942Martiniのスプマンテは、思いのほか量が多く、壇上から降りていろいろなヒトに1口ずつのおすそ分けをしても、半分以上余ってしまった。もっと盛大に撒かなければいけないようで、お立ち台にも経験が必要なことが判明。

(photos by courtesy of "nogu"さん)



2005年2月19日土曜日

都内も雪

DSC00219午前2時を過ぎて、都内も雪。でもすぐにみぞれ混じりの雨に変わったから、朝には溶けてしまうかも。だから証拠写真をパチッ。



2005年2月17日木曜日

マーク・ダナヒューにみるレーシングドライバーとインテリジェンス

アメリカ人で、ちょっと旧いカーレース好きなら、誰しも1冊持っている隠れたベストセラーがある。Mark Donohueの著書"The Unfair Advantage"がそれだ。

Markについて簡単に記しておくと、6-70年代に主にアメリカで活躍したレーシングドライバーで、SUNOCOカラーに塗られたペンスキーのローラT70やフェラーリ512Mにカマロ、あるいはポルシェ917-30で大活躍した。また、1972年にはインディー500のウィナーとなったが、不幸にも、1975年F1オーストリアGPのウォームアップセッションでクラッシュし、運悪く普通は抜けることのないキャッチネットの支柱が頭部に当たった結果、数日後急に帰らぬ人となってしまった。この本は、彼がレースから半ばリタイアしていた1974年に、レーシングドライバーとしての半生を振り返る形で、各車との関わり方を記したものである。長らく絶版だったが2000年に再販され、再び脚光を集めたことも記憶に新しい。

彼と彼の著書がなぜこれまでに支持されているかというと、彼のレースに対するアプローチが、画期的にインテリジェントだったことによる。彼はブラウン大卒のエンジニアであり、フリクションサークル理論(タイアの能力を最大限使う上の理論。各タイアにかかる荷重×前後左右方向のタイアグリップのベクトル総和の範囲内で、コーナリングとブレーキング/アクセレレーションをクロスオーバーさせるドライビングスタイル)など、彼が独自に編み出した理論や開発手法は、今では常識となっているものも多い。その意味で、レーシングドライバーはみな彼に借りがあるのだ。



例として、彼はシャシーのセットアップを重視した。・・・なんて当たり前のことだが、60年代のレースなんて、本当にいいかげんなもので、ほとんど何も調整なしといって構わない状況だった。クルマに難癖をつけるのは、男らしくないという価値観だったのだから。

そのような中、彼は新しくドライブすることになるレーシングカーを、ペンスキーが所有するスキッドパッドに必ず持ち出し、あらゆるスプリングレートやダンパーセット、車高やアライメントを試しながら、大小の定常円旋回のバランスを最適化していた。

インテリジェンスというには、極めて単純な理論の実践かも知れないが、このように彼は自分の頭で考えた理論を、自分の手を汚して実験し、結果に結びつけてきたのだ。それに比べると、今の我々はいつも参考書を探し、定石をヒトに聞くことが多くないか。

本書は、アメリカ人の文章らしく平板で、行間を読むことはできないし、めくるめく体験記というわけでもない。しかし、文字通りに語られる内容が我々自身とクルマとの関わり方にヒントをあたえてくれるという点で、そのようなことに興味がある方々にはお勧めしたいと思う。全文英語だけど。


2005年2月8日火曜日

1億総サブカルコレクター時代と住環境

大量の雑誌で床抜け、重傷 アパート、2時間後に救出。これは笑えない。こういう友人が何人もいるからね。雑誌(創刊号から集めてるヒト、いるでしょ?)、数千枚のLPレコード、フィギュアに空き缶に旧いMACや食器。

このような欲求を満たすかのように、最近の戸建やマンションの広告にも「男の書斎」「DEN」「ガレージライフ」「離れ」など、趣味のための空間の充実度を謳うものが増えてきたが、これによってさらにサブカルコレクター市場を拡大させるのではないか。

もはやイームズの家具なんて日本が最大の市場だと思うけど、FIAT500ブームの市場価格が崩れたように、「もうそろそろ」感がちらほら。結局は、うまく流行らせて、うまく手仕舞うのがやっぱりいちばんうまい手なのだろう。それができれば、こんな恨み口も書かないでよいのだけど。



2005年2月5日土曜日

ルノーのデザイン戦略と、リミックス文化への批判

ルノーのデザインチーフ、Patrick Le Quémentが、現在のルノーのデザイン戦略について語っている

記事自体は薄っぺらだが、最後に語った彼のヒトコトはとても気になった;「(他メーカーのような)“過去の遺産”のリデザインは行わない。我々は常に前を向いていく」。

彼はそこまで語っていないが、そもそも「過去のリデザイン」というのは、まず音楽からスタートしたサンプリング&リミックス文化;つまりかっこいいフレーズをちょいと拝借して、ground beat(古)に載せるような(安易な)方法論一般を指していると思う。ことクルマのデザインでいうならば、過去の金字塔的なモデルの一部や全体のモチーフをつかって、名前までそのまま使って新しいモデルを作ることになる。

でもこれって、過去のものをひたすら掘りつづけて、ひたすらレアグルーヴに向かうだけで、次世代がリミックスを行うことができる「オリジナル」は生み出していないから、結果的に進歩していない。このような活動全体に対して、もともと彼はフランス人だから、リミックス文化=アメリカ主導的文化に対する自分達の立ち位置を示して、チクリと言いたかったのではないか。



僕自身もずっと「過去のリデザイン」に対して批判的な立場をとってきたが、実際のマーケットにはそのようなものが溢れている。

クルマなら、現行Mini、Ford Thuderbird/GT40など枚挙にいとまがないし、先日までGucciのクリエイティブディレクターだったTom Fordだって、過去のラインナップをちょっとデフォルメしただけで、Gucciのクラフツマンシップの上にあぐらをかいていたのではないか。

過去のリデザインがなぜこうもはびこってきたかというと、既に知っているフレーズが聞こえるだけで消費者の心理的バリアが外れるようなマーケティング面での即効性、過去の成功例に根ざした「堅い」セールスが見込める費用対効果、ブランドの将来価値を過去の成功例でフリーズさせる可能性があっても現在価値をmaximizeさせる方を選ぶ短期的業績効果の、主には3つのメリットが予測可能だからだ。でも、その3点のいずれもが経営管理的価値に根ざしたものであって、ブランドの永続的価値やそのようなものを生み出すクリエイティビティへの敬意はあまり感じられない。そのブランドが下降線になれば、みんなで脱出するか売却するか、ということになる。

90年代中盤以降ルノーは、独創的で斬新なデザインを押し出してきていて、幸い現行のメガーヌなどはフランスでもかなり好評を博している。同社傘下の日産が、同じくモダンなデザインを前面に出して、三河の会社をイナカモノに見せるように努力していることは、ご存知の通りである。

新しいデザインを生み出すことで、常に前進するルノーのデザイン戦略には賛成だが、これまでの成功要因の一端はフランス人の新しいデザインに対する受容力の深さによるものと思う。果たして日本人はどうなのかしら。