2005年9月24日土曜日

My Auto-biography(8/Range Rover)

P1010247 2001年の冬頃のこと、6年間の酷使の末、すっかりくたびれきったAR 75TSに代わるクルマを探すことになった。このころにはすっかりFormula Fordでのレースがエスカレートしていて、トレーラーを曳いてレースに行くのに向いているクルマがよかったため、逡巡の末Classic Range Roverを探し始めた。バブル期に大量に輸入された、革シート+電子部品満載のいわゆる「電子レンジ」を避けると、それ以前のアナログなモデルはこの日本では僅少である。そこでこの道のオーソリティI氏のツテで売り物を紹介いただき、83年式を手にすることができた。このころのRRはキャメル色のファブリックの内装で、ラフな使い方をしたい僕にはぴったりなのだ。
Rangietecno4_2そのスジでは有名な「タマネギの皮色」のオーストラリア仕様のRRは、エンジンを後年の3.9Lに、アクスルをDiscoveryのものに換装してあり、しかもATだった。当初付いてきたHolleyの4バレルキャブをWeber(Edelbrock)の4バレルに換装して幾分か改善したが、街中3-4km/l、高速でも6-7km/lという燃費はやはり極悪といわざるを得ない。でも、魔法のじゅうたんのような乗り味は、グタグタに疲れたレースの帰り道に最適だった(ちょっとスローだったけど)。中にカートを積むのも実に楽で、夜逃げのように荷物を満載して出かけるのは得意中の得意であった。
P8090091_1 でも結局わずか1年半後には、置き場の問題もあってRV誌編集長のもとに引き取られて行った。実のところRangeRoverが似合うライフスタイルが僕にはなかったことが、手放してしまった直接の理由である。つまり僕はRangeRoverに対して力不足だったのだ。だから、もう少し僕が成長したら、また同じ頃の"humble"なRangeをもう一度買いたいと思う。



My Auto-biography(7/Tecno Formula Ford)

PitGiulia GTとは別に、耐久レースで友人のAH Sprite Mk.IIに乗らせてもらってからのこと、Giuliaでレースを続けることの迷いが生じるようになっていた。Spriteは元F3000チームのエースメカニックが鼻の脂を塗りこんだエンジンも相まって非常に速く、しかも優れた重量配分によりレーシングカーらしい動きをしたのだ。ふと思い出すのは、アリゾナで乗ったFormula Ford。やっぱりレースをするからには、リアルのレーシングカーに乗るしかない。思い立ったら、早いのが好きな僕のこと、Formula Fordの売り物を物色し、Giuliaを売り払い、2000年の冬にこのTecnoを購入した。このクルマは1970年にTecnoでFFordの全米チャンピオンをとったSkip Barberがスペアカーに使っていたものとのことで、僕が買う際のfirst refusal rightを彼が有していた。
前オーナーが27年所有してきただけあって、歴戦の跡も生々しい姿は、周辺のヒトにはかなり哀れに見えたようだ。艶の落ちた朱色のボディはアカベコの愛称がふさわしかった。そしてまた思い立ってしまい、2001年の6月から翌年3月までの間、友人達の力も借りながら、フルレストアに近いリビルドを自らの手によって行った。その経緯はこちらに詳しい。
毒をくらわば皿まで。コイツに費やした時間をおカネに換算すると、いくらになるのかしら。



My Auto-biography(6/Eunos Roadster)

Giuliaでレースに出始めてしばらくすると、スライドコントロールなんかが勉強できる、乱暴に扱っても壊れないクルマが欲しくなった。そうこうするうちに、富士のフレッシュマンを走っていたというユーノスロードスター(初期型)を衝動買いしてしまった。そう、大学生のころちょっと欲しかったから、いわゆるオトナ買いの気分だったのだ。

現物はナンバーこそついていたが、内装やエアコンは除かれていて、ドライバー側にはバケットシートがついていた。こんなスパルタンなクルマは不人気だったよで、事故暦なしで3万kmだったにもかかわらず30万円の安値。しかもN1用マフラーやら、富士仕様のコイルオーバーユニットや背の高いロールケージも全部つけてくれた。
乗り始めてみると確かに面白いようにノーズが入り、テールが滑った。全ての交差点でオポジットロックを決めるようになって、ただただ運転が粗暴になってゆく。雨の筑波では、新品のタイアのグリップに負けて、第2ヘアピンの立ち上がりでタコ踊り。結局は、リアのトーコントロールブッシュや、キャンバー変化による低次元ドリフトに辟易して、わずか3ヵ月後に25万で友人たちのところへ。彼らはジムカーナで酷使し、コースアウトしては土手を駆け上ったりしたようだ。そういう使い方に、、やはり向いているのかもしれない。あまりに所有期間が短くて、写真が見つからなかったのも、オチといえばオチである。



2005年9月20日火曜日

My Auto-biography(5/Alfa Romeo 75 Twin Spark)

Gtv75rせっかくのGiulia GTに乗れないストレスのはけ口として、96年春に75TSを買ってAlfa2台体制に移行。この年は僕にとってのAlfaバブルで、実質1年で2台を買ったことになる。
所有していた約6年間は特にノントラブルだったが、1度だけ怖い目にあった。交差点で停まっていると、いきなりメーターが200km/hを指し、ダッシュ裏から白ーい煙が上がってコードの皮膜が焼けるイヤーなあの臭い。慌てて路肩にクルマを寄せて避難すると、手の中には携帯とサイフ・・・その浅ましさに我ながらガッカリする。ダッシュ裏の配線を疑い、全部の線を手で握って再びキーをONにすると、もう煙は出ず、結局それ以降もそのままだった。
Tesshu最後はトウバーをつけてフォーミュラやスプリジェットを積んだトレーラーを曳かせる狼藉をはたらき、挙句の果ては30万円程度でヤフオクにて処分。
75はAlfetta/Nuova Giuliettaを無理やり延命させたようなものだから、パワー増や太いタイアにはブッシュ類が全く力不足ですぐにヘタったが、複雑なメカニズムを採ってでも前後重量配分やリアの接地性を重視したレイアウトのメリットは、特に中高速ベンドでよくわかった。もっというと、Giuliaと乗り比べると明らかだった。
Alfaらしく中速域のビートが気持ちいいTwin Sparkエンジンを積んだコイツは、僕が新しいクルマとして買う最後の4気筒Alfaになるだろう。今のFF Alfaは音や全体的なフィーリングがちがうので、残念ながら僕にとってのAlfaではない。



My Auto-biography(4/Alfa Romeo Giulia Sprint GT Veloce "Corsa")

Gtvjble_1 会社勤めも3年を過ぎると、ある程度の貯金ができたりして、何か自分へのご褒美が必要な時期を迎える。そうなると、哀しい性かな、クルマを買うことぐらいしか思いつかなかった(笑。
もともとGiulia GTAは6歳のころから欲しかったもの。気が付いたら20年も経っていたが、95年の冬にナンチャッテGTAをLAのさるAlfistaから買うことになった。2000ccのフルチューンで200ps(シャシダイ上でセットしてもらったら191psまでは行けた)、ドアやグリルなどはGTAの本物、加えてCampagnolo 7Jのホイール、CRBB付きという理想的なスペック。ラッキーにも、振込み当日は1ドル80円を切った歴史的な日。
購入後は、1年以上結局乗る時間ができず、レースに出たのも1年半後。初レースの筑波ではWeberのスペアジェットも持たずに出かけたが、15秒台だったからまあまあだったと思う。その後ピストン棚落ちでエンジンを壊すなどタイヘンな思いもしたが、幸いクラッシュはなし。最後はFormula Fordと入れ替える形で、2000年春に売却。今もIdler'sで走っているはず。
コイツのおかげで今に続く親友ができたし、一時期疎遠だったヒトたちとの縁が復活した。Alfaつながりで得た友人は、僕の一生の宝物だ。



My Auto-biography(3/Peugeot 205 GTi 1.6)

205still大学4年になろうとするころ、いよいよGolfのエレキ周りがあやしくなったのを機に、CarSensorでいちばん安いのを藤沢でゲット。現物は、日に焼けて外装がしょぼかったかわりに、4万km弱でまだ賞味期限は十分。右足の神経に直結したような1.6Lエンジンのスーパーレスポンスや、クイックでゴーカートのようなハンドリングを存分に楽しんだ。やがて大阪に転勤すれば早朝の六甲を暴走し、淡路島ではメーター読み200km/hで巡航し、その後転勤した四国では、仕事で頻繁に通った鳴門までTour de Corseのような道で地元のAE86を蹴散らしていた。結局約5年間乗って、10万円で売却。
断言してしまうと、これまでの僕の人生でサイコーの1台。大学の同期や後輩の中には、いまだに僕がこれに乗っていると思っているやつさえいる。コイツのおかげで、Golf以来冷めていたクルマに対する気持ちが完全に復活した。ただし、その後の人生と預金口座が台無しになったから、サイテーの1台でもある。
#どこかに1.6のいいヤツないでしょうか?やっぱり手許に残しておきたい・・。



My Auto-biography(2/Golf Ci)

Golfyag足こぎのビートル以降、ミニカーやプラモデルに凝り、ラジコンカーのレースに明け暮れ、中学後半からは自転車のロードレーサーに狂って、高校中盤からはYamahaのSRX-250に乗った。で、二輪の才能がゼロであることを悟った。
初めてのクルマは、大学入学後にやってきた。購入時点ですでに6万kmを超えたVWゴルフ I。バブル全盛期の某K大生の中には、新車のBMWを買ってもらえる境遇のやつもいたけど、少なくとも当初はこのGolfで僕のpride & joyは十分満たされていた。しかし、文房具のようなGolfは今思い返しても退屈なクルマで、寝ていてもまっすぐ走るかわりに、ちょっとでも曲がっていれば155SRのContiが鳴きまくる。つまらないからどんどん扱いも適当になり、最後はクーラーが壊れたまま、いつも窓は全開。ま、クルマより楽しいことをいっぱい覚えた時期だし、こんなものか。でも、忠実に3年間ほぼ毎日の通学と課外活動、冬のスキーに活躍。



My Auto-biography(1/Beetle pedal car)

Beetle もうすぐ、また1歳トシをとることをきっかけに、これまでに所有した乗り物をまとめておこうと思う。
1台目は、3歳ごろに買ってもらったVWビートルの足こぎペダルカー。確かMORISというメーカー製で、色はスカイブルー。その後サイドにKONIのステッカーが貼り、今に続くステッカーチューンを実践する。ライバルは、近くに住むトシちゃんのCorvette。
足こぎペダルは本来左右に交互にこいで前後に進むものだが、両方を踏んで、下り坂でブレーキングする方法を親父に教わった。これは生涯最初に実践したドラテクだろうと思う(それとは別に、歩けるようになるまえに僕の足首を捻って、ヒールアンドトーをさせたという証言もあり)。・・・・こうやって見ると、結構顔がちがう。



2005年9月18日日曜日

Remembering Sep.'96 Arizona and Don

Bondurantgp 若いうちから贅沢をするもんじゃないという言葉は、今や聞くこともまれだが、アリゾナで会ったDonとのたわいもない会話ほどこの言葉を身につまされたものはなかった。
もう9年も前の96年の9月のこと、僕はアリゾナ州フェニックス郊外にいた。4日間コースのレーシングスクールに参加するために、東京からご苦労にも大韓のエコノミーで飛んできたのだ。
このスクールは、F1にも乗ったBob Bondurantが運営しているもので、トータル4日間のコ-スの2日半はSareenチューンのFord Mustang 3.8GT、残り1日半はCrossleのFormula Fordでみっちり走り込まされた。日中40度近い炎天下の中、1日3時間以上のトラックタイムが4日連続。20分ずつのスティントの合間には、とにかく水を飲まされた。これほどにドライビングに集中したのは金輪際なかったが、案の定4日後のスーツは乾いた汗で塩をまぶしたように見事に真っ白になった。最終日にインストラクターが"very smooth and I give you my credit for FFord"と言ってくれたことは、今も心の支えだ。
このように"4 Day Grand Prix Course"は最もインテンシヴなコースだが、同級生が僕のほかに2人いた。ひとりはノースキャロライナ在住で911乗りのMark、もう一人がテネシー在住のDon(ピンぼけ写真右)である。



50代前半と思しきDonは、ちょっとダイエットが必要な、ある意味普通のオッサン。FedExの機長で、いつもはDC-10を飛ばしているという。離婚して独身だったが、初めてホテルのロビーで会った時は、40代前半ぐらいの女性と暫しの別れを惜しんでいた。50過ぎのオッサンが「ガールフレンドがさぁ・・」と口にするのは、日本人の僕らには奇妙に聞こえるが、きっと彼らはティーンのころからの習い性なのだろう。実際、そのころのアメリカは、忘れ得ぬ輝ける時代だったはずだ。果たして、スクール2日目の夕方、ホテルのジャグジーで彼がそのころの昔話をしてくれた。もちろんクルマの話である。
彼がハイスクールに入ってすぐのころ、初めて手に入れたのはMG TCだった。それからすぐTDに替わり、その後はMG A、さらにTwincamとあわせて2台同時に持っていたんだ。SUの調整なんて、庭のホースを切ってヴェンチュリに突っ込んで、左右の音が一緒に聞こえるように調整するだけ。簡単だね、って屈託なく笑う。ウィンクするたび、眼鏡の向こうの優しい瞳が一瞬隠れる。
じゃあ、そんなDonは、今は何に乗っているんだろう。今はもうMGは持ってないの?でも今だったらJaguarかな?僕の質問に、彼は誇らしげにこう答える。いやいや、今はCamaroのSSだよ。いいクルマだね。スリック履いてサーキットに出るんだ。彼はやっぱり屈託なく笑っている。
若いうちにMGをさんざん乗り潰した挙句が、何で今はカマロなんだよ。いったいどうなってしまったんだろう。もちろん”Export or Die”時代のMGなんて、現在のカマロの価値もない安物だったろうし、第一カマロ1台が彼の暮らしすべてを代弁するわけでもないが、FedExの機長なら、もっといいクルマを持っていてもバチは当たらないはずだ。次の言葉を探している間に、これはアメリカの経済力が相対的沈下したことによるものではないかな、と思いはじめていた。それと同時に、(当時の)僕がAlfaを2台持っていると言ってしまったことに、ドキドキしていた。
今、日本に住む僕らは、半ば沈没しつつある国家経済とは不釣合いな贅沢に溺れているのではないか。別に僕は悲観主義者ではないが、こういう時代がいつまでも続くかないとすると、自分の身につかない贅沢はやはり慎んでおいた方がいいかな、と思う。
少なくとも、Donの昔話には、そう思わせるだけの説得力があった。・・・その後僕は結局FFordを買うなど散財し放題だから、全然説得力はないけど。


2005年9月9日金曜日

民放BSデジタル各社、個人情報データを破棄

表題の通り、民放BSデジタル放送各社は、保有する視聴者の個人情報を破棄するとのこと。
もともとBSデジタル放送は、高画質のほか、登り回線にモデム+9600bpsのモデム+電話回線(笑)を用いた「双方向放送」や、映像以外のデータ放送による「高機能放送」が機能的なキモだったが、蓋をあければ、結局4択のクイズやら、Quoカードのバラマキ応募ぐらいしか使い道が浮かばず、広告主に説明できる成果もなかった。
今回個人情報を破棄したということの背景には、結局のところ個人情報の使い道がなかったという実情がある。もしあったとしても、国営放送の料金徴収ぐらいなので、民放には個人情報の管理コストや漏洩リスクを考慮すれば、明らかに保有メリットがなかったということだ。
そもそも、BSのCAS(視聴者管理システム)のビット数(桁数)の問題で、発行できる鍵の総数が足らず、BSデジタルや110°CSではPPVサービスを提供できない。上り回線のしょぼさを含めたこのようなアーキテクチャーの設計ミスは、致命的でさえある。
そんなチューナーを仕込んだ薄型テレビを大枚はたいて買わされているのは、もったいない話だ。放送側にいた僕としても、おすすめできない。



2005年9月6日火曜日

楽天、LinkShare(US)買収

日経によると、楽天は米LinkShareを460億円で買収の方向で最終調整中とのこと。思ったより安いと思うが、つまりはその程度の期待収益だから、あまり儲かるビジネスではないのだろう。物産系列のLinkShare(JP)の行方も気になるといえば、気になる。



日経「硬貨流通初の減少」は偏向報道?

7月末の硬貨の流通枚数が、前年同月比0.05%減の915億7000万枚で、初めて減少に転じたと日経朝刊が報じた。その理由は電子マネーの普及とされているが、これは電子マネー側に寄った偏向報道ではないか?
なぜかというと
1)電子マネーへのシフトの根拠が明示されていない;
電子マネーの正確な流通額が提示されていないから、硬貨からのシフトが証明されていない。
2)硬貨の流通総額は昨年より増えている;
2005年7月末は、前年同月より500円玉が2.1%増、100円玉が0.8%増となっており、1円玉はほぼ横ばい、5円玉、10円玉、50円玉がそれぞれ1.1%、0.1%、1.1%減っているのみだ。それぞれの流通枚数で流通総額を計算すると、2004年7月末が3兆3,137億円であるのに対し、2005年7月末は3兆3,565億円である。



つまり、硬貨の流通総額が減ってないのに、枚数の減少だけで経済指標に影響するとはよく言ったものだ。反論余地のある内容について、片方の意見だけで断定的に論じるのは偏向報道である。



その後NikkeiNetの同じ記事をみたら、金額の伸びは低水準と後付けで書いてある。誰かが気付いたのだろう。でも、新聞に出てる枚数を掛けても、金額が合わないのはなぜ?
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2005年7月末:
1円玉: 406億枚=406億円、5円玉: 122.2億枚= 611億円、10円玉:205.3億枚=2,053億円、
50円玉: 44.9億枚=2,245億円、100円玉:101億枚=10,100億円、500円玉:36.3億枚=18,150億円。
合計 915.7億枚=3兆3,565億円
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この計算、間違い?


2005年9月5日月曜日

New Orleans

ハリケーンの被害を受けたニューオーリンズの惨状には、心痛むものがある。もう15年近く前の夏に、1日50ドル以下の予算で友人とはじめてアメリカを旅行したとき、我々がいちばん気に入った場所だったからだ。
バーボンストリートのテイクアウト専門バーでプラスチックカップとMillerを買って、斜め向かいの窓を開け放ったJazz Clubから漏れてくる音を聞きながらのんびりと飲り、翌朝はオノボリさんらしくCafe du Mondeのドーナツ(Beignet)をほおばったのが懐かしい。Southern hospitalityという言葉が存在するように、ヒトを大きく受け止めてくれる南部にはいい思い出がいろいろある。
何かあればすぐにチャリティが立ち上がるのもアメリカらしいところだけれども、初動が早かったのは現在開催中のUS Open Tennisなどスポーツ側のヒトたち。その他ハイテク企業がテクノロジー面でサポートをはじめているが、まだ音楽側ではまとまっていないようだ。特にJazz系なら、コンピレーションによるエイドアルバムなどでfund raiseする義務があると思う。赤十字へのワンクリック寄付などの窓口はiTunesやAmazonなどですぐに立ち上がったようだが、日本のポータルやメジャーサービスではまだのようだ。
できることからはじめるということで、僕もどこかで寄付をしたいと思う。うまくまとめられれば、仕事上で何かできないかな。



Cafe du Mondeはダスキン=ミスタードーナツをライセンシーとして、日本でフランチャイズ展開しているようだ。なんか、相応しくない場所ばかりにあるのがもったいない、というか何やってるのかと思うけど。


2005年9月2日金曜日

レクサスと富裕層マーケティング

8月30日に正式ローンチしたレクサスは、本日までの2日間に156台を販売したとのこと。二極化しつつある日本の所得階層の象徴となるべきレクサスは、日本の富裕層マーケティングのロールモデルになるはずで、その手法もいろいろ真似されるはずだ。では、その手法によりどのような顧客価値が生まれているのか。



まず販売するプロダクト=車両本体について。
乗ったことはないので正しく評価できないが、既存のトヨタの各モデルのエンジンを大型化し、内外装のフィニッシュやパーツのレベルを上げて、Lの字のマークを付けたものに変わりはない。BMWに対するAlpinaというのが最大限の賛辞だろう。JD Powerの顧客満足度調査No.1のお墨付きもついている。
販売チャネルや演出といえば、既存トヨタ販社と別の販売系列を組織し、ショールームの床は大理石、お茶にせよショールームでの試乗にせよ、訪問者の注文に対して店員はひざを床につけてお伺いをするという。修理のショップ内の工具は、LEXUSの文字を鋳込んだSnap-onの特製工具で、清潔感のあるユニフォームに身を包むメカニックが作業する。
で、販売価格はというと、ベースの各トヨタ車と比べて約150万~の上増し。
これだけのプレミアム=顧客にとっての価値をレクサスは提供しているというのが、正統派の評価だが、回りまわってこのマーケティングコストを負担するのも顧客である。それでもターゲット層がみなレクサスを買いたいのだとすれば、上記のような差異(とリセールバリューを含む「勝ち組」感)が、日本の富裕層マーケティングのコアだということになる。それをexperienceと表現するのは自由だけれども。

・・とここまで書いて再認識したのは、たかがクルマを買うぐらいで、店員を床にひざまづかせるような男になったつもりはないし、アッセンブリー交換しかしないであろう"changineer"にSnap-onを買ってあげるのもゴメンだということ。それよりも、客と同じ高さの目線で正直な仕事をしてくれる油まみれのメカニックが、ひとつでも多く工具を買えるように、僕はこれからもそういうヒトたちにお支払いしたいと思う。全然足しにならないだろうけど。