2005年10月30日日曜日

247 on the run

Dsc00365この数ヶ月間、もうすぐ11月上旬カットオーバーの、筋の悪いプロジェクトの運営をまるごと押し付けられていて超多忙だ。そういうわけで今日もまたオフィスにいる。大学院は授業に出るのが精一杯で、いつも22時ごろ再びオフィスに戻り、タクシーで2時ごろ帰る。朝はもちろん9時30分ごろにはオフィスにいる。本当に卒業プロジェクトに着手できるのか?という一抹の不安。
弊社の年齢構成はトップヘビーで、乱暴に物事を決める世代と、決めることが仕事なのに決めないでpass throughするだけの世代は掃いて捨てるほどいる。しかし、実際に手を動かす社員はこの10年間ぐらいわれわれバブル世代から下の世代に移行していない。本来年齢は下に行くほど人数が増える末広がりでないと、業務は回らないはず。代わりに派遣の女性に同等のコミットメントを期待するのも無理だ。
今週末のLe Mans ClassiqueInterClubはどっちも行きたかったな・・。いやはや、まいりました。



2005年10月24日月曜日

To the limit

Dsc00362 現在エンジンOH中のわがフォーミュラフォード。クラッチを換えるとて外したら、あらタイヘン。クラッチのメタルフェーシングはほとんどなくなっていて、ベースプレートはすべての切れ目にクラックが。
このクラッチは2月のレースを終えてそのままだったが、つまりはあと1回レーシングスタートを決めたら、bullet proofなTiltonといえどもバラバラになっていたはず。あるいは、もしかすると、あと数周の命だったかも。
ラッキーの数は一生で有限というけれど、またひとつ使ってしまったようです。



2005年10月16日日曜日

French Toast

Dsc00360バゲットをもらってしまったが、夜に食べるヒマがないので、朝食をフレンチトーストに。本当はこんなことやってるヒマはないはずなのだが・・・テストの前なんかに部屋を掃除したくなるのに似ている。
ところでこの名前の起源は何なのだろうか。ちなみに、フレンチフライの起源は、ベルギー人がアメリカに移住してからも故郷で名物のフライドポテトを食べつづけていて、それを見たアングロサクソンが勘違いしたものらしい。



2005年10月10日月曜日

My Auto-biography(11/Renault Laguna RXE)

Dsc00246 AH Spriteとのペアに選んだのがこのラグナ。カートが載せられて、トレーラーが曳けて、安くて、ハンドリングが良くて、ドイツ製ではないこと。この条件を満たす、数少ない存在だったのだ。川崎の怪しげな中古車屋で20万円のものを15万に値切り倒して、懇意のTモーターサービスへ持ち込む。修理代車につかっていたラグナを解体したばかりで、修理部品はそいつから譲ってもらい、乗り出し20万円。
Xantiaよりも快適なシート、鏡面を滑るような乗り心地に優秀なロードホールディング。どうでもいいクルマとして買った割にはすっかり気に入ってしまい、すでに2年間もの付き合いに。雑誌の取材が多いのは、なぜか。



<ようやくAuto-biographyが終了して、違うトピックに移れます・・>



My Auto-biography(10/Austin Healey Sprite Mk1(early 9-stud))



Dsc000791 つれずれなるままに日々PCに向かう中で、uncomplicatedなライフスタイルにあこがれるようになるのはある意味必然だ。そのような気持ちの中で、RangeRoverを手放して、前から欲しかったカニ目をファーストカーにすることにした。プリミティブなカニ目に日々接することで、少しだけuncomplicateな生活に変えられるような気がしたのだ。ターゲットが決まれば、やっぱり早いことが好きな僕のこと、さっさと契約書まで書いてカナダから格安の1台を6000ドルで買った。買ったあとでわかったことだけれども、僕のカニ目は1958年11月ごろに生産された、最初の4000台ほどの1台で、通称early 9-studと呼ばれる貴重なモデルだった(ウィンドシールドが異なることなどで見分けることができる)。RangeRoverが担っていたトレーラーを曳く役目のために、どうでもいいクルマ(Renault Laguna)を手に入れて、2台体制に移行した。
アホ面のカニ目をファーストカーにするのは、やはり愉しい。どこにでも駐車できるサイズだし、道行くヒトはやさしいし、季節の移り変わりがよくわかる。久しぶりに運動したあとのような、乗り終えたあとのすがすがしい気持ちは何にも代えがたい。夕方以降はオンナのコと遊ぶのにも使えたが、赤い外観のせいもあって「ラ○ェスタ」に出るのかと訊かれるのはちとご勘弁だった。
愉しみとは裏腹に、イイカゲンなBritish EngineeringとAmerican(Canadian)Restorationという"worst of two worlds"の洗礼はバッチリ受けさせてっもらった。結局ブレーキ全OH、ギアボックス交換(ここまでヒトまかせ)、配線引きなおしにダッシュボード張替え(こっちはセルフサービス)などにより、時間もお金も十分に掛かってしまった。uncomplicateな生活は、しかしcostlyでtime-consumingだったのだ。
Dsc000731 本当はしばらく持ちつづけていたかったのだが、別のクルマを引き取ることになって場所がなくなってしまい、わずか1年弱で手許から去っていった。そして売却資金は、大学院の学費にそっくり化けたというわけである。



Dsc00061 典型的なカニ目日和のショットを発見。偶然前を走るは750スプリント。確か2004年の5月連休あたりのこと、多摩堤通りを多摩川園から上野毛に向かってすぐのあたりでパチッ。


2005年10月2日日曜日

My Auto-biography(9/Birel Kart)

Dsc00359 現代のF1ドライバーの大半はカート上がりであるように、レーシングカーを乗りこなす上での基礎的なテクニックはカートで培えるもののようだ。うっかり入口を間違えて、旧いクルマから入ってしまった僕としては、後付けながらそのようなトレーニングをしたいと思っていたが、友人達4人でカートをやることが酒席で決まってしまい、ヤフオクで1台中古を調達することになった。
手に入れたのは97年ごろのBirelで、エンジンはヤマハのSLストックとPRGの両方が付属。縦型のスタンドが付属しており、僕のマンションのベランダに置ける条件もそろった。結局10万円弱で落札し、ヤマハのエンジンを売却して得た2万5千円は活動費にプール。1人あたり3万円かからないといえば、本当に安いものだ。
それでは、乗ってどうだったかというと、いいコーチがいないのでよくわからんというのがホンネである。ガキ共にあおられて道を譲り、追っかけてスピンする情けなさに、カート帰りの我々の口数はいつも少なく、うつむきかげんになる。
それにしても、我が子に明日の佐藤琢磨を夢見るステージパパたちが跳梁跋扈するカート場の雰囲気には、いささか辟易するものがある。10歳にもならない子供がピットに帰ってくるや否や「あそこのコーナーの進入はこーしなきゃダメ、わかってる?え?」みたいな詰問をする光景が実に多い。彼らが僕らの歳になっても、まだモータースポーツを好きでいてくれるだろうか。
忙しさにかまけて、もう1年半以上乗っていないが、何となくみな気が乗らないのは、あの雰囲気になじみきれないのをわかっているからか。