2006年7月14日金曜日

No more American Marketing

マイミクBさんのトピで、自動車雑誌の低迷要因と自動車趣味自体の高年齢化が話題になっている。ネットメディアの普及よりも、今の若者が車やバイクに興味がないのが一番の原因ということで、趣味系出版社トップと意見が一致したとのこと。確かに因果関係の説明として間違ってないかもしれないけど、本来興味をもたせるべきメディアの経営者の発言として如何なものかと思う。そのようなトップの意識が、知らず知らずのうちに自社メディアから洩れ伝わることについて、無神経だからだ。
でも、もっと本質的な課題を業界は見落としてないか?



確かに、ガレージでクルマを直していて、通りがかりで反応するのはオッサンばかり。でもつい先日は、小学生数人の襲撃を受けるという結構嬉しい経験があった。やはり初めてみるフォーミュラは、彼らにとっても純粋にカッコいいようで、男同士通じ合えるものがまだあったのだ。いろいろ質問してみてわかったけれども、みんなの間でクルマが流行らないから話題にならないんだと言いつつ、周囲に魅力あるクルマがないから興味の持ちようがないというのがホンネのようだった。やっぱりクルマは"Good for boys of all ages"なのだ。
つまり、今の子供を次世代のクルマ業界のいいお客さんに育てたかったら、電化製品のようなつまんないミニバンをメーカー自身でobsoleteするのが効果的だ。セールストークのために女性の意見を表面だけ聞いた小賢しいクルマも、もうヤメ。さもなくば、あと10年も経たらクルマなんて洗濯機ぐらいのマインドシェアに堕ちて、誰もが値札しか見なくなるだろう。
例の小学生たちがフォーミュラをひと目見て好きになってくれたように、子供は素直な心でモノを判断できる。だから、リサーチ会社仕切りのつまらんグループインタビューするぐらいなら、試作車を子供たちに見せてその反応を直視する方が、よほどエモーショナルな意味で正しいデータが取れるはずだ。そして、エモーショナルに訴えるものを着実に市場に送り続けることで、クルマに対するマインドシェアも上げることができる。
いずれにせよ、現在得られるデータに立脚したアメリカンマーケティングでは、マトモな商品は作れないというのが、僕のかねてからの持論だ。太古のFord Edselはともかく、全米の叡智が集まるGMの経営不振をここに理由づけるのは、いささか乱暴に過ぎるだろうか。


6 件のコメント:

  1. その通りです。
    私も流通業でマーケティングをいささか囓りましたが、いつも自説は、
    「仮説、あるいは偏見と独断無きマーケティングは意味がない」ということでした。
    どんなものでも、「これを好きな人間は必ず何パーセントかはいるはずだ」と信じて物作りをすべきだと言うことです。
    「とてもいい」「いい」「まあいい」が70パーセントを超えないと売れないという思いこみで作ってきた商品が全く売れないと言う事実をどれほど見たことか。
    「好き」と「嫌い」がはっきりふたつに分かれる商品こそが成功するし、その商品が文化を創ると言うことです。
    これからは益々、「糞食らえマーケティング的マーケティング(ナンじゃこれ?)」の時代ですね。
    子供の素直な感性が大事なんでしょうね。

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  2. 大変建設的で、現代のマーケット問題を上手く指摘してると思います。
    ��セールストークのために女性の意見を表面だけ聞いた小賢しいクルマも、もうヤメ。<
    ��現在得られるデータに立脚したアメリカンマーケティングでは、マトモな商品は作れないというのが、僕のかねてからの持論だ。<
    これは二重丸で賛成します。
    ��「、、いい」が70パーセントを超えないと売れないという思いこみで作ってきた商品が全く売れないと<
    データでくくられるなんてとんでもない。
    ��子供の素直な感性
    今朝出勤のためにBianchiに乗り出そうとすると、
    お~、カッコいいーー
    と小学生が言います。 つまらないチャリでも分かる子供が居るんだなぁと感心したところでした。 まさに
    ��子供は素直な心でモノを判断できる。だから、リサーチ会社仕切りのつまらんグループインタビュー云々<
    いま、このログに拍手を送ります。

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  3. 魅力的な車が無いから興味ないと言う人達はまだまだ期待出来るのでは?。
    本質的に、車そのものに興味無いと言うのだから困ったものである。
    彼らの購買欲は携帯電話に向いているのだから・・・。
    我々が中高生の頃は、みんなバイクや車の話に夢中だったし、スーパーカーブームさえ在って日本国中が盛り上がったものでした。
    今や、その辺のセダンでさえ高性能のDOHCだったり、ご機嫌を損ねることも無くいつも快適で速い。
    正にコンピューターに乗っている感も有る。
    携帯と同じ、文明の利器だ。
    スタイルなんて、あまり気にせずそこそこで良いという人も沢山居る。
    奇をてらった車は、一瞬の興味の対象には成るが大量に売れることは無いだろう。
    車雑誌も、新車に乗り換える際には、電化製品のカタログ同様に有効なのでしょうが、これはネットで十分なのかも知れない。
    我々の周りの車好きとは、一線を画している訳だ。
    趣味性が強い雑誌ほど、感性に訴え情緒的に走り過ぎる傾向だし、憧れの無い若者にとってはウザイだけなのかも・・・?
    いろいろ楽しいことや物が溢れ過ぎている現在、興味の細分化はされても、少数でも趣味の対象として車やバイクに情熱を持っている若者も居るわけで、この世界が無くなってしまうことは無いでしょう。(車よりはお手軽なバイクの整備本は売れているそうだし・・・。)
    これが文化として熟成されるのを、メディアは諦めずに応援する他は無いのでは?
    期待しましょう。

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  4. 白猫#352006年7月14日 22:37

    まったくそのとおりですね。
    子供は「かっこいい!」ものに本能的に惹かれますよね。
    そういう純粋な気持ちを失った大人の造ったものに魅力がなくなるのも
    当然といえば当然でしょうか。
    ましてやマーケティング中心のモノ造りに未来があるとは思えませんね。
    それからもうひとつ、現代のクルマ(に限りませんが)は昔のものと違って
    ユーザーサイドに寄りすぎていて(マーケティングの産物でしょうか)
    つかい手に要求するスキルや意識のレベルが下がりすぎていると思います。
    安全、快適、安楽ばかり追求されていて、乗り手が「運転」というものを
    あまり意識しなくなっているように思えます。
    ��.5トンほどの物体を右足ひとつで時速100㌔で動かしている自覚を持っている人が
    どのくらいいるでしょう?
    良いか悪いかは別にして昔の車はもっと運転に集中して(させられて)いましたよね。
    道具を使いこなす喜びがあったような気がします。
    かなづちやノコギリ、カンナをうまく使えたときのようにね。

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  5. 以前、某氏と話をした際。「キミ好みの本なんか売れっこないだろ」と完全否定されたコトがありました。
    結局は経営・算盤勘定ありき。売れてナンボなのですから、無個性化まっしぐらは否めない。
    現状を甘受する己と否定したい己が同居して葛藤中。
    ・・・言いたいコトは山ほど有るが、語彙・ボキャブラリーが貧困で文に出来ない自分の不甲斐なさがもどかしい。

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  6. みなさん、コメントありがとうございます。テキスト量からも、みなさんの思い入れの強さや問題意識の高さが伺われました。
    言葉足らずでしたが、僕がいいたかったのは、携帯やゲーム機が登場したから・・・と言い訳するのではなく、自分たちから問題解決ができるのに、どうしてあきらめるの?ということです。そして、その解は、案外シンプルなところにあるのではないかと。もっというと、携帯なんてだれも愛してはいませんよ。ただ、携帯を通じたヒトとのコミュニケーションを愛しているという点では、モノを愛することよりもむしろ自然なことかもしれませんが。
    こんな環境下でせめて僕らができるのは、楽しいモノをひとりでも多くのヒト、特に次世代を担う子供たちに体験させてあげることではないかと思っています。それを文化と呼ぶなら、文化を作っているのかも。ただ、obsoleteされたメディアがアートとなって固定化してしまうがごとく、クルマも昔はよかったとただ諦観するのは慎みたいところです。

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