2007年3月12日月曜日

back streets

週末にES30で都内の裏道を走っていて、ふと頭に浮かんだこと。
それは、裏原やら中目やらが好きなコたちにとって、クルマの登場場面が全くないだろうな、ということ。もう少し紐解いて表現すると、徒歩か自転車、せいぜいバイクぐらいでしか目の前に行けないようなエリアがカッコよさげになってくると、若いダンシとしてはおんなのコとクルマで出かけるシチュエーションが成立しないだろうなということ。そして、それがとりわけ首都圏の若年層にクルマが売れない原因ではないだろうかということ。
(参考:クルマが必要と思わないM1/F1の理由に関するサーベイ



余談ながら、僕らのチーム名Club de Côteの名前は青山墓地下のBEACHがいつもの集合場所だったことに由来している。どこへでもクルマで行きたがる僕らの年代は、やっぱりバブルといわれるわけだ。確かにそういうの、何かカッコ悪いかも。ES30なんて、その意味でサイアクだ。
でもノロノロ下向いて歩きながらヘタウマ系裏道ショップを廻って、同じ椅子が2つとない近くのカフェでマッタりお茶したがるのって、とげぬき地蔵界隈の方々みたいじゃないかい?


6 件のコメント:

  1. リンク先では「趣味の多様化」とか書かれていますが、そもそも運転する行為自体に嫌悪している気がします。 クルマは”沢山ヒトが乗れて、スキーやボードが積めて、良い音響設備で、カッコイイスタイル”で、自分は後席に座るモノと。 みんなが「なんでオレ(ワタシ)がみんなの移動の為にクルマ出して運転しなきゃなんないの?」と考えていれば、自然とそうなりましょうし(これは田舎の理論かな?)。
    目的地へ行くまでの行程に重きを置く世代と、行程を無視したい世代の相互理解は困難をきわめそう。

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  2. Beatを買ったお店でも、「若い人が全然クルマに興味を持たない」ことを嘆いていましたよ。なぜなんでしょう??

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  3. 車って不便なんですよ。 運転しなきゃなんない。 で、運転すると、楽しさよりもストレスの方が今では大きいんです。 駐車場、速度制限、事故防止、通行規制、渋滞、、 などなど、気が休まらない。
     車好きの私でさえ、近時、田舎の道路を走ってて運転する快感を全く感じなくなりましたよ。 目的地までの交通手段が外に無いから使わざるを得ないけれど、息子などはどこそこへ連れてってくれというだけで、後席で iPod か何か聴いてます。 家族で出かければ寝てるかゲームか音楽、移動そのものは苦痛なんでしょう。 移動を公共物に頼るか私物に依存するかの違いでしかないかもしれない。
     会社の前の交通を見ていると、車での移動というのは大半が無駄に見えてきたりしてます。 動いてるのが空っぽの車ばかり。 個人の移動の為に何でもかんでも車を使わなければならない地方在住者でさえ、なんかおかしいぞ、と思う。 まして多感な青年が車の煩わしさから遊離していても不思議ではない。 かつての様に、車が富や力の象徴的存在であったと感じる人は、今は少なくなり、よって憧れも消えるだろうし、巨額な投資に値するものなのかどうかが疑問になってくる。 まぁ、価値観の変化というか、どうしたって家電化した車には興味が持ちにくい。
     車が我々に夢を与える環境がもう無くなっているってことか??

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  4. まとめちゃうと
    ・運転そのものへの嫌悪感(あるいは、無駄骨感)
    ・個人のエゴと社会性?との二律背反
    ・クルマという存在の日常化による地位低下
    あたりでしょうか。どれも正しいんだけど、なんかそれだけじゃない、人間の変化(進化?退化?)みたいなのってないですかね。
    携帯見ながら移動するようなマルチウィンドウが実現不能なのが運転だし、生命が掛かってるon the edge感覚が合わないとか(余談ながら、いまの小学生は自然とマルチウィンドウ脳なんだそうです)。なんかセックスレスが増えてることも同根のように思われ。かつてStirling Moss曰く通り、男は両方ともヘタじゃいけないと思いますが。

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  5. すいません。両方下手なんですが、どうしましょう?

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  6. >CLOTさん
    ええと、
     1)ドライビングスクールに行く。あるいは驢馬君よりもっと難しいものに乗る。
     2)伊勢崎近辺の「プロ」に鍛えてもらう
     3)タイかモロッコに行って両方あきらめる
    ・・・どれがいい?

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